「老眼は40代くらいから自覚する人が増える」と知った。日本眼科学会によると、目のピントを合わせる調節力は加齢とともに低下し、40代くらいから近くを見る作業で目が疲れるなどの不快感を感じ始めるという。もちろん40歳を境に急に老いるわけではないし、老眼になったから何かができなくなるわけでもない。
それでも、この話を知ったときに少し考えた。40歳といえば、人生全体ではまだかなり早い。旅行もできるし、新しい趣味も始められる。仕事を変えることだってできる。それなのに身体のほうでは、すでに若いころとまったく同じではなくなり始めている。
だとすれば、「やりたいことはいつかやればいい」という考え方は、本当に正しいのだろうか。先送りによって失う可能性があるのは、単なる残り時間ではない。体力、自由に使える時間、環境を変える気力、そして誰かと一緒に何かができるタイミングも少しずつ変わっていく。
人生は長くても今と同じ条件は続かない
人生100年時代と言われるようになった。40歳なら、まだ人生にはかなり長い時間が残っている。ただし、残り時間が長いことと、その時間を今と同じ条件で使えることは別の話だ。
老眼と同じように、身体には少しずつ変化が起きる。厚生労働省の「健康づくりのための身体活動・運動ガイド2023」でも、全身持久力の指標である最高酸素摂取量は20歳代以降、加齢に伴って低下することが示されている。
だからといって、年齢だけで「できる」「できない」が決まるわけではない。運動習慣などによって身体の状態には大きな個人差があるし、50代や60代になってから新しいことを始める人はいくらでもいる。考えたいのは、もっと単純なことだ。未来の自分が、今よりすべての面で好条件になっているとは限らない。
20代には体力や身軽さがあっても、お金がない。30代になると収入は増えても、仕事が忙しくなったり子育てが始まったりする。さらに年齢を重ねれば経済的な余裕が増えるかもしれないが、今度は自分や家族の健康、親のこと、仕事上の責任などが加わってくる。
人生では、すべての余裕が同時に増えていくわけではない。お金の余裕が増えるころには、時間や身軽さという別の余裕が減っていることもある。「もっと余裕ができたらやろう」と思っているうちに、余裕の種類そのものが入れ替わってしまうことがある。
いちばん先送りできないのは「誰かとやりたいこと」
さらに厄介なのは、やりたいことの期限が自分だけでは決まらない場合だ。自分一人でやる趣味なら、50歳でも60歳でも始められるかもしれない。しかし「誰かとやりたいこと」には、相手側にも時間が流れている。
いつか親を旅行に連れていきたいと思っていても、10年後には長距離の移動が難しくなっているかもしれない。子どもとキャンプへ行きたいと思っていても、数年後には友達と出かけるほうが楽しくなっているかもしれない。友人と海外旅行へ行くのも同じだ。自分に時間とお金ができたとき、相手にも同じように時間とお金があるとは限らない。転勤するかもしれないし、家庭の事情が変わるかもしれない。
ここには、自分の健康や体力とは違う難しさがある。自分の体力なら運動によってある程度維持できる。お金なら貯めることもできる。しかし、親がまだ元気である時間や、子どもが一緒に遊んでくれる時期を貯めておくことはできない。
人生には、自分側の期限と相手側の期限がある。そして後者は、自分ではほとんどコントロールできない。「いつかやりたいこと」の中に誰かの顔が浮かぶものがあるなら、それは一人で完結する夢より少しだけ優先順位を上げてもいいのかもしれない。
今やったほうがいいことと後でもいいこと
やりたいことを全部急いで消化する必要はない。若いうちに何でも経験しておかなければ人生を損する、という話でもない。むしろ、後になってからのほうが楽しめるものもある。
高級ホテルに泊まるなら、無理をして若いうちに行く必要はないかもしれない。美術や歴史は知識を重ねてから訪れたほうが面白くなることがある。本格的な写真や楽器なども、ある程度のお金や時間ができてからじっくり取り組むという選択ができる。
大切なのは、やりたいことを二つに分けてみることだ。
- 先にやったほうがいいこと:体力を大きく使う、長い自由時間が必要、大きく環境を変える、失敗したあとにやり直す時間が必要、特定の誰かと一緒にやりたい
- 後でもやりやすいこと:お金があるほど選択肢が増える、知識や経験を重ねるほど楽しめる、年齢によって実行条件が大きく変わらない
世界をバックパックで長く旅してみたいことと、高級ホテルでゆっくり海外を楽しみたいことは、同じ「海外旅行」でも時間の意味が違う。前者は体力と長い自由時間が重要になる。後者なら経済的に余裕のできた年代のほうが楽しみやすいかもしれない。「いつやるべきか」は、やりたいことの中身によって違うのだ。
全部やるのではなく一度やってみる
それでも大きな夢ほど、なかなか実行には移せない。世界一周したいからといって、明日会社を辞めるわけにはいかない。移住してみたいからといって、すぐ家を売る必要もない。
そこで、「実現する」ではなく「一度やってみる」くらいに考えると、かなり話が変わる。世界を旅してみたいなら、まず行ったことのない遠い国へ行ってみる。地方へ移住したいなら、旅行ではなく一週間ほど生活してみる。山に登ってみたいなら、まず一つ登る。別の仕事をしてみたいなら、勉強や小さな副業からその世界に触れてみる。
やってみれば、想像以上に好きなこともある。逆に、何年も憧れていたのに「一度やったら満足した」と気づくこともある。それも十分な成果だと思う。「いつかやりたい」という未確認の願望を何十年も抱えているより、一度確かめてみれば、その先へ進むのか手放すのかを決められる。
そして一度始めておけば、年齢とともに楽しみ方を変えることもできる。若いころは険しい山を登り、年齢を重ねたら低い山を歩く。若いころはバックパックで旅をして、その後はホテルに泊まりながらゆっくり旅をする。人生の前半と後半で、同じことを同じ方法でする必要はない。
老眼の話を聞いて考えたのは、「40歳までに何でもやっておかなければ」ということではなかった。人生は思っているより長いかもしれない。しかし、そのすべてを同じ体力、同じ自由度、同じ人間関係で過ごせるわけではない。
「いつか」で失うのは時間だけではない。体力や気力を失うこともあれば、誰かと何かができる限られたタイミングそのものを失うこともある。
だから、やりたいことを全部急ぐ必要はない。ただ一度だけ考えてみる。これは本当に、10年後のほうがやりやすいことだろうか。
そうでないなら、完璧な形でなくていい。まず一番小さな形でやってみる。行ってみたい場所なら日程だけ決める。誰かと行きたいなら、その人に話してみる。
「いつか」を全部なくす必要はない。ただ、その中に今しかできないものが紛れていないかだけは、ときどき確かめておいたほうがいいのだと思う。
