「いまを生きる」ことが難しい時代だからこそ目の前の時間を大切にしたい

休日なのに仕事のことを考えている。旅行に来ても次の予定を調べ、きれいな景色を見ればまず写真を撮る。何もすることがなくなるとスマートフォンを開く。

「もっといまを大切にしたい」と思っていても、目の前の時間だけを過ごすのは意外と難しい。「いま」にとどまりにくいのは、意志が弱いからではないのかもしれない。未来に備え、過去を呼び出し、他人の生活を見ることが、現代ではあまりにも簡単になっている。

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現代では「いま」が未来のための手段になりやすい

人間はもともと未来を考える生き物だ。狩猟採集の時代にも季節や危険を見越し、食料や人との関係について考える必要はあった。ただ、一部の狩猟採集社会では食料を得て分け合い、比較的早く消費するなど、日々の行動と見返りの距離が近い暮らしもあったと考えられている。

現代の生活には、それとは反対に結果がずっと先に現れるものが多い。将来のために勉強し、進学や就職に備える。働き始めれば住宅ローンや資産形成、老後まで考える。教育、雇用、貯蓄、保険など、いま行動して将来に備える仕組みが生活のいたるところにある。

もちろん、それによって私たちは安定した暮らしを築けるようになった。一方で、今日していることの意味が十年後や数十年後に置かれる場面も増えている。

私たちは現在を過ごしながら、その価値を未来によって決めることが多くなった。

過去も未来も他人の人生も近くなった

現代人を「いま」から連れ出すのは未来だけではない。スマートフォンには何年も前の写真やメッセージが残っている。予定表を開けば来週のことを考え、SNSを開けば昔の知人や同世代の人がどんな仕事をし、どこへ旅行し、どんな暮らしをしているのかまで分かる。

人間の脳そのものが急に変わったわけではない。変わったのは、意識が「ここではない場所」へ移動するまでの距離だ。

以前なら遠くの出来事を知るには誰かから話を聞き、昔の記憶をたどるにも写真や手紙を探す必要があった。今は画面を一度触るだけで、来週の予定、十年前の写真、世界のニュース、他人の日常へ注意を移せる。過去も未来も他人の人生も、すぐ手の届くところにある。

しかも他人の生活が近くなると、自分の現在をそのまま味わうことも難しくなる。楽しい休日を過ごしていても、誰かの旅行や華やかな生活を見れば「もっと充実した過ごし方があるのではないか」と考え始める。

すると、現在を味わう前に採点が始まる。楽しいのか。有意義なのか。何か得られるのか。人より遅れていないか。

現在が「経験するもの」ではなく「評価するもの」になっていく。

意識が離れるほど「いま」は薄くなる

目の前のことから意識が離れるのは珍しいことではない。心理学者のマシュー・キリングスワースとダニエル・ギルバートが2010年に発表した研究では、参加者は調査時点の46.9%で、そのときしていることとは別のことを考えていた。そうした心のさまよいは、全体として幸福感の低さとも結びついていた。

興味深いのは、楽しいことを考えているときでさえ、目の前の活動に意識を向けているときより幸福感が高いわけではなかったことだ。もちろん、この研究だけで「考え事をすると不幸になる」とはいえないし、未来を考えたり過去を振り返ったりすることには大切な役割がある。それでも、目の前の体験から意識が離れ続けることには、それなりの代償があるのかもしれない。

食事をしながら午後の仕事を考えていれば、食事そのものを味わう時間は短くなる。子どもと遊びながらメールを気にしていれば、同じ一時間を一緒に過ごしても、その時間へ向けている注意は少なくなる。日曜日に翌日の仕事を考え続ければ、まだ始まっていない仕事がすでに休日の一部を使っている。

時間そのものが消えるわけではない。ただ、同じ一時間を過ごしていても、その一時間を経験したという手触りは薄くなっていく。

たまには目の前の時間に戻ってみる

未来について考えることをやめる必要はない。問題は、現代では何もしなくても「いま」から注意を連れ出す入口が常に開いていることだ。

スマートフォンを開けば予定やニュースが入り、SNSを見れば他人の生活が目に入る。仕事をしていなくても連絡が届き、旅行先でも次の場所をすぐ調べられる。便利だからこそ、放っておけば意識は簡単に目の前から離れていく。

だから、たまにはそれらを遠ざけてもいい。スマートフォンを置いて食事をする。写真を撮らずに景色を見る。役に立つかどうかを考えずに本を読む。何か特別なことを始めるのではなく、目の前にあるものへしばらく注意を戻すだけでいい。

そして、その時間から何かを得ようとしなくてもいいと思う。

現代では、何をしていても「これは何につながるのか」と考えやすい。勉強なら将来、運動なら健康、読書なら成長、旅行なら思い出と、いま過ごしている時間にも先の目的を求めてしまう。

だからこそ、何にもつながらない時間があってもいい。成果にならなくても、記録に残らなくても、あとで誰かに説明できなくてもいい。

目の前の時間を、すぐ次の予定や成果に変えず、そのまま過ごしてみる。

「いまを生きる」とは未来を捨てることではない。過去や未来、他人の人生へ簡単に移動できる時代だからこそ、ときどきそこから離れて、自分が実際にいる場所へ戻ってくることなのだと思う。

何にもつながらなくていい時間を、そのまま過ごす。

そんな時間を意識して持つことが、いまの時代には以前より大切なのかもしれない。

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